移動における、音楽と読書の位置
2006年10月10日ちょっと前(それは半年ほど)まで、公共交通機関を使った上で移動に必要なものは、miumiuのめがね、帽子、タオル(寝てて涎を防止するため)、そしてMDウォークマンと沢山のディスク!
でしたの。
帽子、タオルはその都度変えていますが、めがねとウォークマンは本当に酷使もいいとこで。
2代目のウォークマンなんて、使いすぎて電池を止めてあったガムテープが燃えましたからね!
いつでもどこでも音楽がないと生きていけないわわたし。
なんていっぱしの音楽好きみたいな振りしてた訳で。
でも、最近はそういうのやめた。
移動中、基本的に私は自分が運転しない限り、絶対に寝てしまって、音楽なんてどっちかってとあんまり聴いてなかったりするのかも、と思うわけ。
聴いてても本当に数十分くらいだったり。
何度も何度もリピートしていくうちに、その音楽のよさとかが麻痺して分からなくなってくる。
イヤホンを外すと寂しいのは、音楽が消えて寂しいんじゃない、
自分が外の音を聞くのを嫌がってたんだな、と思いましたの。
で、ある日やめたのです。片道3時間くらいかかる移動だったけど、音楽は置いてきた。その代わり本を持った。
大抵そういうときに読みたい本ってものすごく分厚くて、重くて邪魔な本なんだけど、どうしても読みたいからかばんに無理やり入れてくる。
音楽は受身でずっと語りかけてくれるやさしい友達だけど、本は自分が読み進めない限り勝手に進んでいったりしない。
自分が文字を追わなくなると、pauseのままそこでとどまっていてくれる。
そして、また自分が字を追う毎に動き出してくる。
そういう世界があることをまた久しぶりに思い出して、私は嬉しくなって本っていいな、と思っている。
今読んでいる本は、G・ガルシア・マルケスの「100年の孤独」。
これが曲者で、主人公の子供は主人公と同じ名前で、孫も同じ名前で、弟も同じ名前で、彼が結婚した女の人から生まれた娘は彼のお母さんと同じ名前で、というものすごくわかりにくい話で、
「あれ?アウレリャノって誰だっけ」「メルキアデスは死んだんじゃないの?」「ジプシーに連れ去られたのは?」ともう人物を理解するだけで一杯一杯で、うんうん唸りながら読んでいるので、まだ半分しか読めていない。
これからどんだけアルカディオやブレンディアが出てくるんやろう、と思うと気が遠いけど、私はこのマコンドという村のあれこれに今夢中なのだ。
でしたの。
帽子、タオルはその都度変えていますが、めがねとウォークマンは本当に酷使もいいとこで。
2代目のウォークマンなんて、使いすぎて電池を止めてあったガムテープが燃えましたからね!
いつでもどこでも音楽がないと生きていけないわわたし。
なんていっぱしの音楽好きみたいな振りしてた訳で。
でも、最近はそういうのやめた。
移動中、基本的に私は自分が運転しない限り、絶対に寝てしまって、音楽なんてどっちかってとあんまり聴いてなかったりするのかも、と思うわけ。
聴いてても本当に数十分くらいだったり。
何度も何度もリピートしていくうちに、その音楽のよさとかが麻痺して分からなくなってくる。
イヤホンを外すと寂しいのは、音楽が消えて寂しいんじゃない、
自分が外の音を聞くのを嫌がってたんだな、と思いましたの。
で、ある日やめたのです。片道3時間くらいかかる移動だったけど、音楽は置いてきた。その代わり本を持った。
大抵そういうときに読みたい本ってものすごく分厚くて、重くて邪魔な本なんだけど、どうしても読みたいからかばんに無理やり入れてくる。
音楽は受身でずっと語りかけてくれるやさしい友達だけど、本は自分が読み進めない限り勝手に進んでいったりしない。
自分が文字を追わなくなると、pauseのままそこでとどまっていてくれる。
そして、また自分が字を追う毎に動き出してくる。
そういう世界があることをまた久しぶりに思い出して、私は嬉しくなって本っていいな、と思っている。
今読んでいる本は、G・ガルシア・マルケスの「100年の孤独」。
これが曲者で、主人公の子供は主人公と同じ名前で、孫も同じ名前で、弟も同じ名前で、彼が結婚した女の人から生まれた娘は彼のお母さんと同じ名前で、というものすごくわかりにくい話で、
「あれ?アウレリャノって誰だっけ」「メルキアデスは死んだんじゃないの?」「ジプシーに連れ去られたのは?」ともう人物を理解するだけで一杯一杯で、うんうん唸りながら読んでいるので、まだ半分しか読めていない。
これからどんだけアルカディオやブレンディアが出てくるんやろう、と思うと気が遠いけど、私はこのマコンドという村のあれこれに今夢中なのだ。
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